夏目漱石著「私の個人主義」を読む

 この前山崎正和の「柔らかい個人主義の誕生」を読んだので、<個人主義>という名前のつく本は他にもあったと思い、真っ先に思い出し、手にした。本書は何度か読み直している本である。手元にあるのは講談社学術文庫の『私の個人主義』という本で、その中には表題作の他、「道楽と職業」、「現代日本の開花」などの夏目漱石の講演を行ったものがある。今回は全体の『私の個人主義』を読んだわけではなく、その中の一部の、30頁程の「私の個人主義」のみを読んだ。内容を紹介していきたい。

 

内容

 夏目漱石が学習院(学習院輔仁会)で、大正3年(1914年)11月25日に述べた話が書いてある。

 

 話の序盤は以下のようなことを言っている。

 夏目漱石はある落語家から聞いた話で、次のようなものがある。——たまたま食べ物の無かった大名二人が目黒にある小汚い百姓家に入ったら、そこの秋刀魚は美味しくて他で食べても美味しく感じられず二人は「秋刀魚は目黒に限るね」と言った。

 夏目漱石はかつて学習院の教師になろうとしていたが、ならなかった。が、今ここで講演をおこなっている。学習院の人々は、それを待ちわびてくれていた。それは、学習院という立派な学校で、立派な先生に始終接している人が、ちょうど大牢の美味に飽きた結果、目黒の秋刀魚がちょっと味わってみたくなったということに似ている。

 

 

 話は、進む。主に夏目漱石が、文学というものを、大学で勉強していても、中学教師、高校教師、ロンドンへの留学をしても、浮き草のように漂って自分でどんなものか見つけることができず、自分で思索し、立証する必要があった(自己本位と夏目漱石は呼ぶ。)。

 

 

 講演を聞いている人に向って、学習院という学校は立派で社会的地位のいい人が入る学校のように世間から見なされているといった上で、反面世間に出ていった時に、権力や金力を使えることはできるかもしれないということを言う。が、人間の精神をそのようなもので買うのは恐ろしいことでもあるという。それでそれらには責任や義務が必要だという。

 以下引用するのは夏目漱石がかいつまんだものだが、その義務心の三つ。

 今までの論旨をかい摘んで見ると、第一に自己の個性をし遂げようと思うならば、同時に他人の個性も尊重しなければならないという事。第二に自己の所有している権力を使用しようと思うならば、それに付随している義務というものを心得なければならないという事。第三に自己の金力を示そうと願うなら、それに伴う責任を重じなければならないという事。つまりこの三ヵ条に帰着するのであります。 (夏目漱石、「私の個人主義」、147頁)

 また、これらの義務心がない自由は本当の自由ではないようだ。自身の自由をもってほしいと思うと共に、上で引用した箇所のような義務ももってほしいという。そしてその上で個人主義というのはあるのだという。以下そのようなことを言ったところの引用。

 私は貴方がたが自由にあらん事を切望するものであります。同時に貴方がたが義務というものを納得せられん事を願って已まないのであります。こういう意味において、私は個人主義だと公言して憚らない積です。 (夏目漱石、「私の個人主義」、149頁)

 これ以外にも個人主義について触れているところがあるが、だいたいは今引用した箇所と同じようなことを言っている。また、そこには淋しもあるのだという。

 だから個人主義、私のここに述べる個人主義というものは、決して俗人の考えているように国家に危険を及ぼすものでも何でもないので、他の存在を尊敬すると同時に自分の存在を尊敬するというのが私の解釈なのですから、立派な主義だろうと私は考えているのです。

 もっと解り易くいえば、党派心がなくって理非がある主義なのです。朋党を結び団隊を作って、権力や金力のために盲動しないという事なのです。それだからその裏面には人に知られない淋しさも潜んでいるのです。既に党派でない以上、我は我の行くべき道を勝手に行くだけで、そうしてこれと同時に、他人の行くべ道を妨げないのだから、ある時ある場合には人間がばらばらにならなければなりません。そこが淋しいのです。 (夏目漱石、「私の個人主義」、150-151頁)

 

 他には、夏目漱石は何々主義というものをあまり好かないということや、個人主義が国家主義の反対と言うわけではない、としていることなどが書かれている。

 

 

感想と山崎正和の「柔らかい個人主義の誕生」で言われる個人主義

 夏目漱石の言う個人主義というものは、上で引用していったが、自分が自由にふるまうことはできる。が、共に相手のことも気にかけ、自信にいくつかの義務を課してかねばならないというものだと解釈した。その考えというのはすばらしいが、簡単に達成できるものではない、というふうに思った。

 すばらしいが何か夏目漱石の言う個人主義というのは、利己的ではないというか…、もちろん他者と人間は生きているからそれを考慮する必要があるというのはどこでもそうなのだろうが、それを考慮すればはたして個人主義と呼ぶのだろうか、もっといい呼び方はないだろうか、というふうにも思った。

 

 夏目漱石の言う個人主義が個人主義なのかどうかということ云々は置いといて、これもひとつの個人主義としたうえで、この前読んだ山崎正和の「柔らかい個人主義の誕生」に出てきた個人主義というのは(これがそう呼ぶのか…)と思うところがあった。それはおそらく夏目漱石の言うような個人主義(そんな簡単ではない、というイメージを自分はもつ)が頭の片隅にあったからだ、というふうに思う。

 山崎正和は、「柔らかい個人主義の誕生」のなかで、個人主義という言葉と、自我という言葉が似ているところがあるが、いくつか<個人主義とは何か>ということに触れている箇所がある。

 17世紀以来の産業化時代の個人主義と、1970年以来の個人主義というところを比較して言ったところである。以下引用。「演じる」という意識なしに役割になりきって生きることができた時代から、その役割以前の自己というものを考えるようになったのが1970年以来の時代だと言った文の後につづく文である。

 すなはち、人間の自己とは与へられた実体的な存在ではなく、それが積極的に繊細に表現されたときに初めて存在する、といふ考へ方が社会の常識となることにほかならない。そしてまた、さういふ常識に立って、多くのひとびとが表現のための訓練を身につければ、それはおそらく、従来の家庭や職場への帰属関係をも変化させることであらう。

 このやうに考へると、1970年代以来のさまざまな社会変化の底には、ひかへめに見ても、新しい自我と未来の個人主義にとって、いくつかの希望の芽がのぞいてゐることは明らかだらう。そして、もちろん、その全体像はなほさだかではないとしても、それは少なくとも、17世紀以来の、あの産業化時代の個人主義とまったく異質であることは、十分に予測することができる。結論からいへば、それは、青春の時代にたいする、成熟の時代の個人主義であり、目的志向と競争と硬直した信条の個人主義にたいする、より柔軟な美的な趣味と、開かれた自己表現の個人主義であることがされるのである。 (山崎正和、「柔らかい個人主義の誕生」、67ー68頁)

 縮めていってしまえば、これは自分の解釈でもあるのだが、17世紀以来の個人主義というのは硬いものでそこにはわかりやすい目的があった、そしてそれに向って競争をしていった、が、それに対して1970年代以来の個人主義というものは、家庭や企業内集団が少なくなり、目的が明確だとは言えなくなってきて、自身の役割を意識するようになった、そしてそれにしたがって、他者との交流であったり、美的な趣味であったりと、自己表現をする必要が出てきて、山崎正和の言う柔らかい個人主義が誕生した、ということだ。

 

まとめ

 以下自分の解釈であるが上の内容をまとめることにする。今回は3つの個人主義が出てきた。

 まず最初に夏目漱石の言う個人主義を紹介した。これは自分が自由である代りに他者とのかかわりも考えなければいけないというものだ。これは、そう簡単に達せ得るものではないと思った。

 そしてその次に紹介したのが、山崎正和の硬い個人主義に対する柔らかい個人主義というもので、硬い個人主義の時代(17世紀以来)は、目的が明確でそれに向っていけばいいようなところがあったが、柔らかい個人主義の時代(1970年代以来)には家庭・企業でいる時間が減り、より自己表現をする必要があった、というものだ。

 

 夏目漱石のいうところの個人主義というものと、山崎正和のいうところの個人主義というのは、比較しているものも違うだろうし、意味合いもだいぶ違うのであろうが、いろいろな個人主義をみてこれてよかった。

 

参考

今回読んだもの

夏目漱石、「私の個人主義」、(『私の個人主義』より)、講談社学術文庫、2008年

 

それ以外にも引用したもの

山崎正和、「柔らかい個人主義の誕生」、中公文庫、1989年