河合隼雄著「無意識の構造」を読む

 河合隼雄の本は2年ぶりくらいに読んだ。前は感想などは書いていないけど、「こころの処方箋」「子どもの宇宙」「子供と学校」などを読んだ。

 本書は初めて読んだ。無意識と、意識の領域はどこまで及び、また、どのように違うのか…ということを知りたかったが、それには適していなかった。そういう意味では読む本を間違えた。もしくは書いてあったとしても、理解力がなくて通り過ぎただけかもしれない。

 この本では無意識というのは、イメージや夢やコンプレックスとなどというものがかかわりあるものだということが書かれていたと思う。が、どのようにかかわっているのかということは、はっきり書かれていたわけではないとおもう。

 それから、夢のことであったり、神話が出てきたりするのは、心理を深く追求していくとそういうものに達するのかもしれない。これは物語として読むのなら非常に面白い。が、実感がなく、ぴんとこなかった。

 以下、印象にのこったところを用語の説明みたいになっているけど、メモを含め紹介していく。

 

 

感情によって色づけられたコンプレックス (コンプレックス)

 ユングは「言語連想検査」(あらかじめ定められた百個の単語があり、検査者は相手に対して、「いまから単語を一つずつ、順番に言ってゆきますので、それを聞いて思いつく単語を一つだけ、できるだけ早く言って下さい」と言う。そして、ストップウォッチをもち、単語を言って相手の反応した単語と、反応時間をかきとめる。)という手法を用いた。これにはときどき反応時間の相当な遅れが生じることがある。 (12-14頁を参照)

 

 これは何かの語がひとつのこだわりになって、連想の流れが妨害されているのだという。たとえば意識の中では動物、家族、木、などという知的な分類を行っていても、馬にけられた恐ろしい体験をもっており、父親もこの人にとって恐ろしい人であるときは、知的には結びつかない父親と馬とが恐怖という感情によって結びついてしまう。それが他のものとも連結されるとその人の行動は他から見ると常識外れの変な行動とみられることになる。 (15-16頁を参照) 以下引用。

 このように、なんらかの感情によって結合されている心的内容の集りが、無意識に形成されているとき、それを「感情によって色づけられたコンプレックス」と、ユングは名づけたのである。これをのちには略して、コンプレックスと呼ぶようになった。それは身体組織の中にできた癌のように、はびこりだすと意識の正常なはたらきを妨害するのである。 (16頁)

 

イメージについて 

イメージの特徴

イメージは単純な記憶像から、夢やヴィジョンにいたるまでいろいろとあるが、それはすべて本人の主観的体験であり、その人の報告に頼らないとなにも解らないのがその特徴である。そこで、その人の表現にまたねばならないが、それは言語的に表現される場合と、絵などによって非言語的になされる場合とがある。 (39頁)

 

臨床心理学ではイメージ同様のものをもつ広い意味のイメージ  

 臨床心理学の場面では本来のイメージとは違うものの、イメージにふくむものがあるという。それが以下。

 ⑴視覚像そのもの (個人の主観的体験)

 ⑵視覚像の表現{言語による表現 非言語的表現

 ⑶外在化されたイメージ

 (40頁)

 

ユングにとってのシンボルとは

 ユングはシンボル(日本語で「象徴」と訳される)はこれは記号や標識とは区別されるものであるという。

 シンボルは象徴と訳されるが、この用語においても、学者によってその意味することは異なっている。これもユングの考えに従って説明しよう。一般の心理学においては、シンボルは「なんらかの他の対象を代表しているもの」として非常に広く定義されている。これに対して、ユングは、シンボルを記号や標識と区別している。なんらかの表現が、ある既知のものを代用し、あるいは呼称している場合、それはシンボルではなくて記号なのである。

 ユングは『人間と象徴』の中で、次のように述べている。「言葉やイメージはそれが明白で直接的な意味以上の何ものかを包含しているときに、象徴的なのである。それはよりひろい“無意識”の側面を有しており、その側面はけっして正確に定義づけたり完全に説明したりされないものである。誰もそれを定義したり説明し切ろうと望むことはできない。人間の心が象徴の探求を始めると、それは理性の把握を超えた観念に導かれる。」 (43頁)

   シンボル(象徴)は記号と違いなにかわからないものを包含している。

 

眠っている間に見る夢とは

 夜になって眠っているあいだ、無意識は活性化され、その動きを睡眠中の意識が把握し、それを記憶したのが夢なのである。夢は意識と無意識の相互作用のうちに生じてきたものを、自我がイメージとして把握したものである。 (57頁) 

 

アニマ(アニムス)とは

男性は一般に男らしいと言われているような属性をもったペルソナを身につけねばならない。彼は社会の期待に沿って、強くたくましく生きねばならない。そのとき、彼の女性的な面は無意識界に沈み、その内容が、アニマ像として人格化され、夢に出現してくると、ユングは考える。女性の場合はこの逆で、女らしいペルソナをもつために、男性的な面はアニムスとして無意識界に存在するという。このように、男性であれ女性であれ、潜在的可能性としては両性具有的であると考えるところが、ユングの特徴である。 (110頁)

 社会的な性とはちがう部分が夢という無意識をふくむ出来事にあらわれるようだ。

 

参考

今回読んだもの 河合隼雄、「無意識の構造」、中公新書、2003年