向田邦子著「ビリケン」を読む

 向田邦子のビリケンは前も読んだことがある話でまた読んでみたくなったから手にした。以下話の内容や感想などを述べる。

 

内容

 石黒という主人公が毎朝出勤するときの通りに果実屋があって石黒はそこの主人をいつも見るのが癖だった。その主人は禿げており、てっぺんが尖っていたので石黒は「ビリケン」というあだ名をつけていた。石黒が見るとビリケンも石黒のほうを見る。ビリケンも石黒をじろりと見ないことには一日がはじまらなかった。

 毎朝通っていたものもそこの果物屋で石黒はものを買ったことはなかった。ある時夫婦で知り合いの元へ行く機会があったので二人でビリケンの店に行って、石黒の妻はメロンを買おうとしたがその包みが雑だったので石黒は女房に言って買うのを辞めさせた。それ以来、気のせいかビリケンの毎朝の視線もけわしくなったように思えた。

 

 やがてビリケンは死んでしまった。店にはビリケンはもうおらず、その息子と女房が坐っていた。しかし石黒のほうを見るというわけではなかった。

 ある時石黒の息子がビリケンの店で万引きをしてしまい、石黒は息子と妻を連れてビリケンの店に行った。「店先だとなんだから……」ということでビリケンの女房は家に上がらせてくれた。そこには古本がいっぱいあり、石黒はビリケンは何の仕事をしていたのかが気になった。ビリケンの息子は「父は古本屋をしていた」という。神田の神保堂というところで。それを聞いて石黒は針がどこか突き刺さったような気がした。——

 石黒は三十年前、大学三年のころその古本屋神保堂で万引きをしてしまったことがあったのだ。そのときは神保堂のおやじに説教され、…そこに大学生が一人入ってきてそれがビリケンでこの店の息子であった。

 

 石黒はビリケンの家に上がって手を合わせた、また、神保堂を知っていたのが効いたのか、長男の万引きは穏便にかたがついた。

 

 石黒は思った。(ビリケンは知っていたのか。粘る視線で、じろりと見返したのはそのためだったのか。)

 

 ビリケンの息子は「おやじは毎日必ず日記をつけていた」というので、石黒はそれならば(三十年前、親父につるし上げられていた万引きの犯人が、また店を通ったなどと書いてあるに違いない)と思い、……三十年前の万引きしたことが明るみに出ることになったらどうしようと思い思い切ってこの土地を離れることにした。その手続きを終え、家まで帰ってくる途中、ビリケンの息子が居たので小料理屋に誘った……話は続く。

 

感想

 ビリケンが死んだことの比喩があっさり書いてあったのがよかった。

 以下の場面はビリケンが見るからに大儀そうになっていった場面の後の場面である。

ビリケンの店のまわりにくじら幕がはられたのは、そのすぐあとだった。 (42頁)

  死んだとは書いていないけれど、くじら幕というもので死んだとわかる。

 

 ビリケンが死んだあと、息子が、来た石黒に対して「父親は神田の神保堂で働いていた」ということを言うのだがそれを聞いた石黒は子供のころ万引きをした場所なので小さな針がどこかに刺さったような気がした。その比喩が良かった。

 子供の頃、ゴム羊羹というのがあった。

 ゴムで包んだ中位のソーセージの恰好をした羊羹である。頭のところを針で突つくと、面白いようにブルンとむけて、ツルンとした羊羹が飛び出してくる。石黒にとって、神田の神保堂というひとことは、ゴム羊羹の針であった。 (45頁)

 

参考

今回読んだもの 向田邦子、「ビリケン」 (『男どき女どき』に収録)、新潮文庫、2013年