庄司薫著「赤頭巾ちゃん気をつけて」(第61回 (1969年上半期) 芥川賞受賞作)を読む

 

内容

 この話の時期は東京大学の入試が中止になったころ。主人公はぼく(庄司薫)で、日比谷高校の三年生である。庄司は犬が死んでしまった勢いもあって怪我をしてしまい、病院へ行ったり足を引きずったり、その様子がこの物語全体で書かれている。

 庄司は母親には以下二つのことをよく言われていた——「薫さん、自分のことは自分でしなさい」「薫さん、ひとに迷惑かけちゃだめよ」。その上、庄司の兄がよく言う「みんなを幸福にするにはどうすればよいか」ということも必要と思いつつも、結局のところ母の言っていた言葉から出られていない、というふうに思っていた。

 最後の方では兄の書いたもののなかに『馬鹿ばかしさのまっただ中で犬死しないための方法序説』というのが出てきてこれの最後の方に「逃げて逃げて逃げまくる方法」というのがあるのだが、終盤部では(逃げまくったたところでどうなるのだろうか)と問うている。

 もう一人メインとなる登場人物は由美という人物で薫が幼い頃から一緒に居た。デリケートで気難しいところがあり、よく庄司は由美のことを怒らせてしまう。庄司は由美に「大学に行かないこと」や「ずっと飼っていた犬が死んでしまって足を怪我してしまったこと」を伝えようとしている。

 

 前半は主に庄司が特に女のことであるが逃げるというということが書かれていて周りから(つまらんやつ)と思われているということが中心だという印象。後半はもっといろいろなことが書かれていると思った——みんなを幸福にするにはどうしたらいいか、ということであったり、逃げて結局どうするのかということであったりということなど。

 背景は東京大学の入試が中止されたころなため、庄司の通っている学校の保護者が「東大いけなくてたいへんねぇ」といってきたり、庄司が電車に乗るシーンがあるのだが窓の外ではヘルメット姿の人物がいたりする。

 

感想

 この作品は文量が手元にあるもので90頁超あるのだがその分、話の流れは急展開するというのではなく、間を詰めて書かれていて丁寧で読みやすいと思った。

 作中に「庄司の代より下は学校群だから……」という場面があったが、庄野の日比谷高校の代は東大受験の総本山でありながらも部活動やオーケストラや生徒総会に満員であっていやらしさがあったが、それが庄司より下の代からは変わってしまっていった……ということがかいてあった。そういうようすをみれてよかった。

 

 学生運動のことは書かれている場面もあったが三田誠広の「僕って何」のように主人公が直接団体に入って何か行動するという感じではなかった。

 

 テーマはあることはあるのだろうが、文を読み進めていくとそれがわかっていくというよりかはじりじりと他の要素も交えて広がっていっているという印象だった。

 

選評

 「芥川賞全集 第8巻」には井上靖、石川達三、川端康成、瀧井孝作、中村光夫、永井龍男、丹羽文雄、舟橋聖一、三島由紀夫、石川淳、大岡昇平のコメントが載っている。

 三島由紀夫は以下のようにいう。

 「赤頭巾……」はケストナーの「フェビアン」を想起させる、或る時代の堺目に生れた若者の、いろんな時代病の間をうろうろして、どの時代病にも染らない、というところに、正に自分の病気を発見し、しかもそれが病名不詳で、どう弁解してみても、医者にもわかってもらえない病気の症状、現代の時世粧をアイロニカルに駆使しながら、「不安定なスイートネス」の裡に表現した才気あふれる作品だと思う。目はしのよく利く、物の裏もよくわかる、自己諷刺の能力もある、それで病身なら人の同情も呼べようが、誰も同情してくれない健康な若さ。……この困ったものを、困った風に饒舌体で書きつらねながら、女医の乳房を見るところや、教育ママに路上でつかまるところなどは、甚だ巧い。 (514頁)

 

参考

今回読んだもの 庄司薫、「赤頭巾ちゃん気をつけて」 (「芥川賞全集 第8巻」より)、文藝春秋、1982年