宮原昭夫著「誰かが触った」(第67回 (1972年上半期) 芥川賞受賞作)を読む

以下内容や感想などを述べる。

 

 

内容 

 舞台はあるハンセン病療養所の、少年少女患者のために園内に設けられた小・中学校の分教場。

 主に出てくるのは二人の人物で一人は馬場と言ってここの中学校の教師をしていて、元々図工が担当だったが他の先生が具合が悪く他教科も教えなければならなかった。もう一人の人物は加納妙子といってここの小学校の先生になるために新しくやってきた人物である。

 この分教場が他と合併すると、離れ離れになってしまうので阻止しようとすることや、馬場が「なんで自分の時間をこんなに犠牲にしなきゃならないのだ」と言ったり、妙子が新任の為もあり戸惑うようすが書かれている。また、子どもたちの喧嘩であったりいざこざであったり療養所での暮らしぶりが書かれている。

 

感想

 読み易い文だと思った。しかし時々子供が恐いことをいう場面があって読み易いからといってそれと釣り合うような軽いことが書かれているわけではないので恐さが増すようなところがあると思った。

 ハンセン病をもつ人はこの話では隔離されていたわけだが、新任の妙子ははじめ来たとき、隔離されていることに戸惑い、また、直ぐ感染するのではないか、というふうに思っていたのだが、医者に聞くとそう心配するものでもない——療養所にいる子供たちの幾らかは理不尽に隔離されている、というような場面があった。ハンセン病や他に結核などをもつ隔離されていた人の病気はどのくらい感染しうるのか、または隔離する必要があるのかということが気になった。

 

 印象に残ったところはこの療養所の中学校の先生である馬場が予算を出すことを渋る経理主任に対していったところだ——

 テレビは教育のために絶対必要なんですよ。ここは特別なんです。それを、ぜいたくだ、なんて。図書だってそうですよ。……教育なんてものは、たとえ生徒が一人だって、百人の生徒の百分の一の費用で済む、ってわけにゃいかないんだ。八百屋の大根じゃあるまいし、半分に減ったら半値でいい、っていうあたまでやられちゃ、かなわないよ (92頁)

 この引用の最後に出てきた八百屋の大根と教えることは訳が違うというところ——大根は半分だったら半値でいいが、教えることとなると費用をどの程度かければいいのかということはそう大根ほど決まったものではなく、単純でもないということが、言われてみればそうなのだが、いいと思った。

 

 「芥川賞全集 第9巻」の年譜のところを見るとこの作品の作者宮原昭夫は21歳で(1953年) 小山清主宰の同人誌「木靴」に参加したとある。また、ネットを見るとまだ作品を読んだことは無いがいつか読みたいと思っている村田沙耶香は宮原昭夫の教える横浜文学学校に通っていたことがあるようだ。

 

選評

 選考委員会には井上靖、大岡昇平、瀧井孝作、中村光夫、永井龍男、丹羽文雄、舟橋聖一、安岡章太郎、吉行淳之介の九委員、全員が出席した。

 

 井上靖は以下のようにいう。

 宮原昭夫氏の「誰かが触った」はうまいという点では抜群であった。余分なことは何も書いていないし、筆も浮いたところはない。正面には押し出さないが、ヒューマンなものが底を流れているのも気持よかった。ハンセン氏病療養所内の園内に設けられてある中学校、小学校の分教場、そこの少年、少女たち、男女の教師たちの生活の明暗を、明るく、軽い筆で綴って、いささかのそつもない。材料はいくらでも深刻になるが、それをこのように明るく、軽く描いたところは、この作者の才能であるとみていいと思った。 (357頁)

 

参考

今回読んだもの 宮原昭夫、「誰かが触った」 (「芥川賞全集 第9巻」より)、文藝春秋、1982年