田辺聖子の作品は映画でならば「ジョゼと虎と魚たち」というものは観たことがあるのだが、本では初めてである。以下本の内容や感想などを述べる。
内容
舞台は大阪。森有以子という放送ライターで、今までに随分恋愛経験をしていた女が、肉体労働者の党員の線路工夫をしているケイを愛す。それは熱烈な愛し方である。
森は恋の行方を同じく放送ライターであり、15歳年下のヒロシに伝えつつ、話は進んでいく。
森有以子はケイを愛していたものの、ケイは同じく党員である女を実は愛しており、また、森のことを遊び女だと考えていたところがあり……このように話は続いていく。この後、森はどういった行動をとるのか、がこの話の後半部にあたる。
感想
この前読んだ柴田翔の「されど われらが日々——」も党の学生運動のことについて書いてあったと思うのだが、この作品でも似たような語は出てきた。
「感傷旅行」は、党がどうとかいうのはあまり具体的な党が何か起こした、というような事件は触れられておらず、それよりも森という女が党に入っている男と付き合ってどういったふうに行動していくのかに重きを置いている作品だなと思った。けれども最初の方の党の動きの具体性があまりない割には、ケイを愛しているということや、ケイと別れた後にどういうふうに森はなっていくのか、というところは尺が長いと感じた。
口調が現代風だとおもうところもあった。——例えばクズ。どこか軽やかな感じになるなと思った。
いくつか上手いと思ったところがあったが、今回は一つだけ紹介する。森とヒロシが仕事の打ち合わせで会う場面。
翌日、ぼくは仕事の打ち合わせで肥後橋のRビルへ出かけた。涼しい一階ロビーの、金銀でぴかぴかした宝石箱のような自動エレベーターが目の前へおりてき、ブザーとともにドアがひらくと、中には、標本箱のピンで押した蛾みたいな森有以子が貼りついていた。
「あらまあ、ヒロシ……」と、彼女はエビス顔にくずれて、こおどりするようなうれしげな手つきでもって、ぼくの手をとり箱の中へひきこんだ。 (325頁)
エレベーターを宝石箱とするところ、それから「彼女はエビス顔にくずれて、こおどりするようなうれしげな手つきでもって」というところがさらっと書くのがうまいと思った。
選評
瀧井孝作、丹羽文雄、舟橋聖一、石川達三、井上靖、永井龍男、中村光夫、石川淳の八委員出席(井伏鱒二、川端康成委員欠席、高見順委員は書面回答)のもとに、銓衡委員会を開催。
瀧井孝作は以下のようにいう。
田辺聖子さんの「感傷旅行」は、浮薄なマス・コミに追回される、関西の放送台本作家の、その情事が描かれて、メチャクチャに歪んだ姿が見える。只それが、実体ではない、影像のように映るだけで、甚だ淡いのが物足りない。人物も煙のように幽霊かお化けの感じだ。 (460頁)
参考
田辺聖子、「感傷旅行」 (「芥川賞全集 第6巻」より)、文藝春秋、1982年