前回の後藤紀一の「少年の橋」と合わせて今回のものも第49回の芥川賞受賞作である。本の内容や感想などを述べる。
内容
悠子が転地療養の為、外房州にきている。夫の梶井は外房州に行くのは例えばお金がかかるので嫌だなどと中々賛成はしないのだが、悠子はどうしても行きたいようで1か月だけであれば行ってもいいということを言う。
悠子は転地した療養先で満足した暮らしを送っていた。
そこに夫の弟の家族がやってきて、——弟の家族のうちの子供である武があるとき、蟹を見つけたのだが蟹の脚が折れて死んでしまったので悠子は蟹を探そうとし、もう夫の弟の家族は帰らなければならない時刻であったが武だけは残るように説得した。
そこからは残った武と悠子が蟹を探すところが中心にかかれている。
感想
物語の前半部は、主に転地療養のことについて書かれる。しかし後半は蟹を探すという事が中心になっていった。前半と後半ではがらっと変わった印象で、蟹を探している部分はあまり療養中だということを感じなかった。
最後のシーンも含め、武は帰らなければならないのに泊まるよう呼び止めたことや手術に行くといったこと、転地療養することなど、悠子の熱心な、——やってしまわななければ気がすまないような様子が書かれていたと思う。
悠子の蟹を探すのだという欲のようなものを読みながら感じた、という点では妻が猫をどうしても手に入れたいというヘミングウェイの「雨のなかの猫」を思い出した。
漢字の使い方は、何かこだわりがあるのだと思った。例えば「緊きしめられて一斉に色の変わってゆく波打際」という語が出てきた。「緊」で「ひ」と読む。滅多にこう読むことは無いのではないか。また、武が悠子に「何かお話しして」と頼む場面では「更めて」という語が出てくる。「あらた(めて)」と振り仮名がふってある。ここは強い懇願が伝わってきていいと思った。
印象に残ったところ
二つある。
一つ目は波の描写。
波は打ち寄せる都度、違ったかたちを見せた。岩の窪みの水溜りでは小さな黒い巻貝どもが遊んでいた。低い岩と岩との間へ来る波は、ちぎれた海草をどっと送り込み、また連れ去って行く。 (297頁)
「ちぎれた海草をどっと送り込み、また連れ去って行く。」というところが迫力ある感じがしていいと思った。
二つ目は悠子の夫の弟の子供である武は寝る前に背中を掻いてもらうようなのだが、掻いてほしいと泊まった先で同じ部屋にいる悠子にも頼んでいる。
悠子が希望を叶えてやると、武は眼を閉じて、さも気持ちよさそうに味わっている。で、続けていると、
「そんなに同じところばかりしないで……」と彼は言うのだった。
あちこちが所望となると、その小さな背中も意外に尽きない。悠子は曲げた指先を、右へ移し、左へ移し、深く差し入れ、また引き上げしては、蒲団の重みで一層窮屈なシャツの中で、その幼く弾む肌を小刻みに掻いてやった。手が少々だるくなってきた。
「先刻のとこ、もう一遍」
言われて、悠子はまた手を移動させた。
「もうちょっと下——下だよ」「だから、ここでしょう」「ううん」
武は眼を閉じたまま、じれったそうに小さな眉根を寄せる。「そっちの下じゃないの。あの、地面のほう……」 (305-306頁)
「悠子は曲げた指先を、右へ移し、左へ移し、深く差し入れ、また引き上げしては、」というところは細かくて、掻き方は色々あるんだと思った。
選評
瀧井孝作、川端康成、丹羽文雄、舟橋聖一、石川達三、井上靖、永井龍男、中村光夫、石川淳、高見順の十委員出席(井伏鱒二委員欠席)のもとに、銓衡委員会を開催。
井上靖は以下のようにいう。
河野多恵子氏の「蟹」はきちんとした乱れのない文章で、海岸に転地療養している女の心理の陰影をよく描いている。少年の蟹さがしに熱心することを夫に知らせまいとする気持のひらめきが、この作品の核のようなものであるが、なかなかしゃれたものだとおもった。 (448頁)
高見順は以下のようにいう。
河野多恵子の「蟹」は通読直後の印象としては前回の候補作より劣ると思われ当選作として推せる力に欠けているとも思われた。しかしこれにはこれまでの作品に眼立ったサディズムめいた毒々しさがなく、気質的なものからもみずからを放っている歩みの感じられる作品と逆に思い直されもした。
当然いるはずでいない蟹、そしてその蟹への執念は、何か人生のひとつの象徴とすら言える。しかもそうともったいぶらないで、さりげなく書いている巧みさは、尋常の才能ではない。 (448頁)
河野多恵子について
「芥川賞全集 第6巻」より一部抜粋する。
昭和24年(1949) 23歳
三月、肺結核発病、二年近く病養。
昭和38年(1963) 37歳
八月、第49回芥川賞を「蟹」により受賞。
参考
河野多恵子、「蟹」 (「芥川賞全集 第6巻」より)、文藝春秋、1982年