日野啓三著「あの夕陽」(第72回 (1974年下半期) 芥川賞受賞作)を読む

 日野啓三は名前は聞いたことはあるが、初めて読む。以下本の内容や感想などを述べる。

 

 

 

内容

 ソウルに新聞記者の特派員として行った私がミス李というガールフレンドとあってから、私と妻令子との関係は悪くなっていく。ソウルに行った時に私が撮ったカメラのフィルムにミス李が映っていたので妻はそれを壊し、見れなくした。

 ソウルに私が行くまでなんとなく夫婦として暮らしていた私と令子と、それからソウルに行き帰ってきた後の夫婦の暮らしぶりが回想を交え書いてある。

 

感想

 文字は読みにくくはなく、漢字もそう多くはなかった。家の中の描写が多くあったという印象がある。回想が所々差し込まれていたのでそこは、(どこが現在、過去なのか)と注意深く読む必要があった。

 「あの夕陽」という題名の為話中の夕陽を探していったが、幾らか光が差し込むシーンなどはあったけど、あまり注目しなかった。

 ソウルから私が帰ってきた後の妻との関係が家の中の内部の様子と相まってうまく描かれていた。

 

印象に残ったところ

 妻である令子は主な人物である私にはソウルに行くまでは私に何かいってきたり不満を漏らしたことがないのだが、次の描写はそんなことが書かれたところである。

 

 一度だって、彼女が私に楯突いたり、私の言動を批判したことがあっただろうか。廊下を鉤の手に曲った一番奥の部屋に入りながら、私は思わず背後を振返るような気持で思い出そうとしてみたが、ひとつもその記憶は思い浮ばなかった。 (219頁)

  

 (何故鉤の手に曲った一番奥の部屋にはいって思い出したのだろうか)そう思いながら読んでいった。「楯突く」、「鉤」、どちらも漢字をみた時のイメージは重い感じがするのだがこれを敢えて近い場所に持ってきてここは書いたのだろうか。

 

 握る動作というというのがこの作品では数回出てきた。それが何らかの意味を持つという事が多いと思った。

 令子が子供をもつことをアパートではうるさいのを防止するため、「もし子供が生まれたら出ていってもらう」ということを大宅の妻君に私と妻の令子がいわれたところである。以下——

 

 私が全然子供を欲しがっていないことを、玲子は承知しているはずだった。ところが、令子は体の前でハンドバックの留金を頑なに握りしめたまま、押黙っている。一瞬気まずい沈黙が流れて、 (略) (219頁)

 

 この後には令子が「主人のとおりでいいんです」と細君に言う、というシーンがある。つまり夫に対して何か口出したりたりしない、というところだと思う。

 ハンドバックというものには大した意味があるとは感じないけれど、それを無意識に、或いは気づいたら握っていた、ということなのだろうか。何か不満を持っていそうな様子である。

 

選評

 出席した銓衡委員は井上靖、瀧井孝作、中村光夫、永井龍男、丹羽文雄、舟橋聖一、安岡章太郎、吉行淳之介である(大岡昇平は書面回答)。

 

 瀧井孝作は以下のようにいう。

 

 日野啓三氏の「あの夕陽」は、若い新聞記者が、夫婦で三年間ほどアパートぐらしをして、夫は外に好きな女ができて、若い妻は耐えられずに、黙って去って行った、それを夫の方がじっと凝視した、哀れな惻惻とした小説で、この作家の前の連作、「此岸の家」と「浮ぶ部屋」と似通うが、前の二作よりも、これは筆に粘りが出て、線も太く、文章も強くなった、と私は見た。 (424頁)

 

 安岡章太郎は以下のようにいう。

 

 別れる妻の令子はあまりに凡庸だが、エキサイトすると左利きになり、キャベツをこまかく刻むところなぞに作品の風味が出る。 (426頁)  

 

参考

 日野啓三、「あの夕陽」 (「芥川賞全集 第十巻」より)、文藝春秋、1982年