桃尻関係

桃尻と書いてもじります。哲学、地名、本の感想などを中心に書いていきます。

三木卓著「鶸」(第69回 (1973年上半期) 芥川賞受賞作)を読む

 三木卓のものは初めて読む。以下話の内容や感想などを述べる。

 

 

  

 

話の内容

 時代は具体的なことは本文中にはないが、戦後のことについてかかれているのだと思う。少年とその兄が煙草を中心に物品を市場で売る。もっている物品は割と高く売れることもあるが、「これは偽物だ」また、「高い」等と異国人に主張され、安くなってしまうこともある。少年は家に鶸を飼っている。

 少年とその兄がものを売ることが中心で、また、少年のおやじの病気の様子もかかれている。

 

三木卓について

 三木卓について知らないので「芥川賞全集 第十巻」の年譜の所でざっとみてみることにした。昭和二十年(1945年)のところを見ると「父は東満北満からの日本人難民救済事業に従事。兄と煙草、飴、古本、衣類などを露店で売る。」とあるから、この時の体験がこの話の元になっているのだろうか。このあと、十一歳で静岡に引揚げ、小学校~高校まで静岡で暮らしている。 

 自分は知らないのだが、ネットで調べるとアーノルド・ローベルという作家の「がまくんとかえるくん」シリーズというのがあってその訳をしたのが三木卓であるようだ。1972年(37歳の時)その中の「ふたりはともだち」「ふたりはいっしょ」を翻訳した、と年譜にはある。

 

感想

 文章は読み易かったと思う。少年たちが路地をどのように歩いていくのか、一回一回興味を持って読んでいった。

 

 題名が「鶸」という鳥の名前なのでそれに惹きつけられてどの程度鶸が出てくるのか、注目して読んでいったがあまり出てきたという印象はない。しかし題名と本文があまり関りはなくても例えば題名が本文を暗示する何らかの意味を持っていれば、それはそれでいいと思うけど今回読んだ「鶸」という作品にはそれが何かを暗示しているとは読み取れなかったので、もう少しあってもいいと思った。

 が、例えば24頁で鶸は小鳥で決して強くないのだが生き生きとしている。けれども父親はずっとしゃっくりをしており、少年は呆れる、という場面があって、この対比のようなものは上手い、と思った。

 

 

印象に残ったところ

 以下三つある。一つ目は技巧的だと思ったところ。意図しているかは分からないが対比になっているのがうまいと思った。一つ目の描写は少年の母が「父は脳溢血ではないでしょうか?」とたずねた後、医師が否定し、さらに続けて医師が言ったところである。——

 

 「これは急性の病気です。どうやら発疹チフスらしい」母親と兄の動作がとまり、緊張が部屋を走った。 (9頁) 

 

 動作は「とまった」が、緊張は「走った」というのが対比になっているなと思った。

 

 二つ目は父が病気で帰ってきたところで、家から出ていったときと帰ってきたときには違いがあるという事をいっている。

 

 ここに寝ている人は、一か月ほど前にこの家から出ていった人と同じはずなのに、どうしてこうもちがうのだろう。少年は胸を押されているような苦痛を感じた。出ていった時には、かれは少年や兄の父であり、母親に対しては夫であった。その身体には家庭の乳臭い匂いがまつまりついていた。充足したものの持つ倦怠感がどこか漂っていた。しかし今はちがう。 (10頁)

 

 ここでは「充足したものの持つ」という言葉と「倦怠感」という言葉の組み合わせ——「充足したものの持つ倦怠感」というのが面白い。確かに充足すれば倦怠感は発生するのだろうけれど、ここの場面ではもっと家庭の明るい感じを出す、「充足したものの持つたのしみ」とか「充足したものの持つ充実感」などでもいいと思ったのだが、そうはせず、少し暗い色を帯びた言葉を持ってきたのがいいと思った。

 

 三つ目は少年と兄が品物を売ろうとしている時、彼等のまわりを異国人が取り囲み、「品物をまけろ」といったうえで、紙幣を投げつけてよこした、という後の場面である。

 

 兄も少年も嵐のような要求のなかで竦んでしまい、図々しい強制に対して敗北を続けた。かれら二人の膝の上には真紅や茶褐色の紙幣が舞い落ち、二人は思いもよらぬ光景に逆上した。 (15頁)

 

 「紙幣が舞い落ち、」というところが荒々しくお金を投げられた感じをうまくかいていると思った。

 

選評

 銓衡委員は井上靖、大岡昇平、瀧井孝作、中村光夫、永井龍男、丹羽文雄、舟橋聖一、安岡章太郎、吉行淳之介である。

 

 瀧井孝作は以下のようにいう。

 

 

 三木卓氏の「鶸」は、敗戦直後の北満あたりの、植民者という一家の災難を、当時の少年の目で描いた小説だが、五票で当選したが、私は票は入れなかった。小説の脊骨が弱い。筆が甘い。読んでも頭に沁まなかった。 (399頁)

 

 井上靖は以下のようにいう。

 

 三木卓氏の「鶸」は、大陸の終戦後の日本人の苦しい生活を少年の眼で見させている。材料もいいし、作品全体を素朴な荒々しいタッチで貫いているのもいい。ただ書き足りないところや、説明不足なところが、かなり目立っている。絵で云えば、「鳥たちの河口」はむりに枠にはめこもうとし、「鶸」の方は枠を取り外してしまっている。しかし、「鶸」には枠を取り外した絵のよさもあるかわりに、その欠点もあると言えよう。 (401-402頁)

 

参考 

 今回読んだもの 三木卓、「鶸」 (「芥川賞全集 第十巻」より)、文藝春秋、1982年