(「或る「小倉日記」伝」を読んで) 森鷗外の「二人の友」を読む

 この前「或る「小倉日記」伝」を読んだためそれに出てくる森鴎外の作品を探していたら、「二人の友」というものは手元にあったので読んでみることにした。

 「或る「小倉日記」伝」は森鷗外の3年あまり住んでいた小倉での生活を田上耕作という人物が調べていくという話である。話中に森鷗外著「二人の友」の内容を言ったうえで、その後、「二人の友」にでてくる安国寺さんという人物の未亡人をたずねる、という場面がある。今回は「二人の友」がどんな風にかかれているのか、ざっと見ようという事で手にした。

 

 

 

「二人の友」の話の内容

 「二人の友」とあるくらいで森鴎外以外にも二人人物は出てくる。一人はf君、もう一人は安国寺さんである。f君は森鷗外が最も自由にドイツ語を使えるという事で小倉の鷗外の元へ来たようで、ドイツ語に関して、自信は相当ある。鷗外の出した心理学の本をすらすらと読むことができるが、お金がなかった。やがてドイツ語の教師になった。

 安国寺さんは鷗外が小倉と、東京へ帰ったときについてきた人物で鷗外が安国寺さんにドイツ文の哲学の訳読をすれば、安国寺さんは唯識論の講義をしてくれる。ここら辺は松本清張著「或る「小倉日記」伝」と変りのあるところではない。

 

    鷗外がf君と安国寺さんとどのようにして付き合っていったかが中心にかかれている。

 

感想

 今回読んだものはおそらく原文に近いままなので出てきた漢字は判らないものもあったが、調べながら読んでいった。この本ではあまり馴染みのない学者なり本の名前などが恐らくドイツ語なのか、縦文字で出てくるので、戸惑った。例えばwundt、koeber、fibel......。話中で森鷗外が東京へ戻った後、団子坂の上にある森鷗外の家の前にある下宿に安国寺さんは来た、という場面があって、確かに団子坂の上には「森鷗外記念館」というものはあるなと思った。「森鷗外記念館」は鷗外の跡地のようだが、以前自分は行ったことがある。森鷗外に関心がなく、建物を見ても何のことかあまりわからなかった。また、多分「ファウスト」に関する森鴎外の訳だったかなにかが展示されており、難しそうだと思った。さらっと見回したという感じだ。森鴎外は「二人の友」ではドイツのwundtという心理学者の本も持っていたため、ドイツ語といっても心理学等色々と詳しいのだろうか。

 今回読んで、行ったことのある団子坂という文字が文中に出てきて少しは(団子坂の上にあるのが森鷗外の住んでたところだったのか)という実感をもてたと思う。

 

 「或る「小倉日記」伝」では、鷗外が東京へ帰ると忙しいので代りにf君が鷗外の代りに安国寺さんにドイツ語を教えるけれどもf君は語格を詳しく分析する教授法のため、安国寺さんは閉口してしまう、という場面があるのだがここではf君はいきなり登場してきた感じがして、どういう人物かわからないが、「二人の友」の前半部分は鷗外とf君について書かれているので、そこは「或る「小倉日記」伝」では見れなかったところだと思う。f君は異性の知識を知らなかったことや、森鷗外と似ていたこと、勉強好きだったことなどが「二人の友」ではかかれている。

 小倉での生活について書かれた森鷗外の作品を他にも見ていきたいと思う。

 

参考

 ・今回は手元にないのだが、森鴎外の「独身」では安国寺さんは安寧寺さんとして出てくるようだ。 (松本清張著、「或る「小倉日記」伝」 (「芥川賞全集 第五巻」より)、文藝春秋、1982年、31頁より)

 

 ・安国寺は、室町幕府を起こした足利尊氏が全国に建てたお寺の一つで小倉北区竪町1丁目にある。「二人の友」に出てくる“安国寺さん”は、この寺の第27代住職であるようである。 (「北九州市 小倉北区」のwebページ参照)

 

 ・今回読んだもの 森鷗外、「森鷗外作品集 第四巻」、昭和出版社、1970年


 ・松本清張の「或る「小倉日記」伝」を読んだ感想 (2019年3月27日の記事)——

  松本清張著「或る「小倉日記」伝」(第28回 (1952年下半期) 芥川賞受賞作)を読む - 桃尻関係