遠藤周作著「白い人」(第33回 (1955年上半期) 芥川賞受賞作)を読む

 遠藤周作の書いたものは、「沈黙」をもってはいるが、本文は見ていないのでこれで初めてである。

 以下本の内容や感想等を述べる。

 

 

 

本の内容

 舞台はフランス。

 私の父は放蕩する癖があったが、母は清教徒だったので、私に厳しい禁欲主義を押し付けた。私は斜視であり、顔に自信がなかった。ある時女中のイボンヌが、多分家の肉を犬に奪われたためだろう、もがく犬を白い腿で押さえつけ、縛り、扶ちはじめたことに私はよろこびを感じた。

 その後私はジャックという私と同じく醜い男に会った。ジャックは神学生であった。

 戦時下、私はナチのテロリズムに感嘆したのもありゲシュタポに入り、抵抗運動をしていたジャックは捕まり、拷問されることになった。それをするのが私だった。

 

 悪によろこびを感じる私と、してはいけない罪が色々とある神学生のジャックが中心にかかれている。

 

感想

 描写はそこまで細かいと言うわけではなく、出てくる用語もそんなに難しいものではないが、ふり仮名がフランス語という特徴があり、頭にあまり入って来ない。話の進み方がうまいので、どういう話なのか惹きつけられ、追いながら読んでいった。

 (この話では宗教のことだが、何かの禁止)と、それに対して(悪に対してよろこびを何らかのきっかけで感じるようになる)という事は小説としてはよくあることだと思う。が、この小説の凄いところは、日本以外の国で生まれ、その地名を用いて、そこでの様子を書いているという事だと思う。しかし自分は今回書かれていたフランスには詳しくないので、書かれている地名の一つ一つがあまりぴんとこなかった。その点は永井荷風の書いた「ふらんす物語」を読んでいるようだった。

 

 禁欲主義がこの作品で書かれるような性のことや死と結びつくことはよくあると思うが、あまり感心はしない。読んでいて(やはりそこと結びつくのか)と思うし、典型的な感じがするためだ。それだけそれらのことが重要だという事は言えると思うのだが。今回の作品に書かれたものではない欲と結びついて書かれている——もっと細かい欲と禁欲が書かれた作品も読んでみたいと思った。

    宗教については詳しくない。が、自分が信じていたものを巡って、裏切られるなり反発されるなりということを読んでいくことには興味がある。

 

「悪は変わらないさ」

 私がゲシュタポでジャックを痛みつけるところで、ジャックに私が「現代の英雄になろうとしているじゃないか」といった後、ジャックは「君だって悪を信じているのではないか」という場面があるが、ここで「悪は変わらない」と私が言ったのはどういう意味だろう、と思った。

 信じる信じないの前に悪はあるということなのだろうか。そうだとすると悪は信じるか否かという問題ではないのだろうか。

 或いは(宗教は変わりうる)ということを思ったうえで、(悪は不変だ)というメッセージを含ませているのか。

 

うまいとおもった描写

 ジャックが拷問中泣くところである。

 

 リズミカルな硬い音が、泣き声のあいだに、正確に加わると悲鳴はそのたび毎に高くはずんでいった。それは落下速度を増す雪なだれに似ていた。ジャックは崩れていく、崩れていく。 (194-195頁)

 

 「雪なだれに似ている」というのが重々しい感じがしてうまいと思った。

 

選評

 銓衡委員は、宇野、佐藤、瀧井、川端、丹羽、舟橋、井上靖、石川達三である。 

 

宇野浩二は以下のようにいう。

 

『白い人』は、特異な題材を、よく工夫して、工合よく、書いてある、という点だけでも、問題になるところはある、が、唯それだけのところもある。 (441頁)

 

 川端康成は以下のように言う。

 

遠藤周作の「白い人」を推すのには、多少の逡巡と疑問を感じたと言うよりも、私は自信に欠けていたと言った方がいいかもしれない。外国を舞台に外国人を書いているからである。また、これと似たような作品が現在ヨオロッパに多くありそうだからである。描かれている主要人物たちはフランス人だが、これらはフランス人でもなく、どこの人間でもなく、あるいは最も多く日本人であろうとも考えられる。しかし、それは差支えないと思えば差支えはない。 

 また、これは考えられ作られた作品であって、日本では勿論材料も主題も特異であるけれども、同時に典型的でもある。批評的な図式の感じを十分抜け切らない。しかしこれも差支えないと思えば差支えはない。そしてこの作家が「白い人」に見せた新しい道を、この人の批評精神によって、今後開拓し発展させてゆくなら、もう芥川賞などを超えた収穫だろう。この人の前途は容易でないが、とにかく注目される。 (445頁)

 

 

参考

遠藤周作の芥川賞受賞のことば (一部抜粋)

 

 私は師と先輩と友人とに非常に恵まれた人間です。仏蘭西から帰って三年、やとこうした方々の愛情や友情にお答え出来たような気がして、泪が出そうです。

 私はカトリックでしたから、もの心、つきはじめてから、神の問題ばかりに、イジめられてきました。外国の文学を学ぶ年齢になってからも、神の伝統が長いことあった白い人の世界と、神があってもなくても、どうでもよかったこの黄色い世界との間にたえず引き裂かれました。この事は仏蘭西に行ってますます強くなりました。 (526頁)

 

今回読んだもの 

遠藤周作、「白い人」 (「芥川賞全集 第五巻」より)、文藝春秋、1982年