川端康成著『山の音』を読む

 三島由紀夫と川端康成が話している動画で三島由紀夫が『山の音』について少し触れていたので手に取った。

 

 題名は『山の音』となっているがそれが中心だとは思わない。最初の方に六二歳の尾形信吾が山の音を聞いた、亡くなる直前に山の音を聞いた人もあり、不安だと思ったという描写はあるけれども。

 鎌倉に住む尾形信吾を中心として、妻保子、その子どもの房子や修一、……修一の妻菊子、房子の孫の里子・国子、房子の夫相原等の生活の様子が描かれている。生活は決して良いものではない。修一の浮気、房子の夫相原の心中……。悲惨な感じがした。次のようなところはうまいと思った。——

 艶めかしい少年の面をつけた顔を、菊子がいろいろに動かすのを、信吾は見ていられなかった。

 菊子は顔が小さいので、あごのさきもほとんど面にかくれていたが、その見えるか見えないかのあごから咽へ、涙が流れて伝わった。涙は二筋になり、三筋になり、流れつづけた。 (二二一頁~二二二頁) 

 ここでは知人が死んだということでその遺品を信吾が受け取り、菊子に試しに付けてみろと言った場面。ひごろは泣けないが仮面をつけたら泣ける、それも少年の仮面、不断から悲しさがたまっている感じが伝わってきた。

 

 自然の描写が多い。信吾の家の犬であったり、蝶、座敷のからす瓜、新宿御苑に信吾と菊子が行った場面、家の傍を飛ぶ鳥など。

 あまりいいところではないが特に印象に残ったのは蝉の描写だ。いやな感じがした。二つ引用する。

 ・「ぎゃあっ、ぎゃあっ、ぎゃあっ。」と聞える鳴声が庭でした。左手の桜の幹の蝉である。蝉がこんな不気味な声を出すかと疑ったが、蝉なのだ。

 蝉も悪夢に怯えることがあるのだろうか。

 蝉が飛び込んで来て、蚊帳の裾にとまった。 (十頁)

 ・東京の里子は蝉がめずらしく、また里子の性質のせいか、はじめはこわがるのを、房子が油蝉の羽根を鋏で切って与えた。それから里子は油蝉をつかまえると、保子にでも菊子にでも、羽根を切ってくれという。

 これを保子はひどくいやがった。

 房子はあんなことをする娘ではなかったと、保子は言った。あんな風に亭主が房子を悪くしたと言った。羽根のない油蝉を赤蟻の群がひいているのを見て、保子はほんとうに青くなった。 (四十六~四十七頁)

  川端はなにか蝉に対してよくない思い出があるのだろうか。一つ目の引用はこのあと直ぐ信吾が山の音を聞くのだが怖さを増すためにここで不気味な蝉の鳴き声をもってきたのか、それとも前触れのようなものなのか。……わからないが山の音を聞く前に蝉の音をもってくるのが面白いと思った。二つ目の引用の蝉の羽根を切るというのは初めて見るので衝撃的だった。

 

 気に入ったのは信吾一家四人で映画の「勧進帳」を見に行った帰りの空の様子——

 月は炎の中にあった。信吾はふとそう感じた。

 月のまわりの雲が、不動の背の炎か、あるいは狐の玉の炎か、そういう絵にかいた炎を思わせる、珍奇な形の雲だった。

 しかし、その雲の炎は冷たく薄白く、月も冷たく薄白く、信吾は急に秋気がしみた。 

 月は少し東にあって、だいたい円かった。炎の雲の中にあって、縁の雲をぽうとぼかしていた。月を入れた炎の白雲のほかには、近くに雲はなく、空の色は嵐の後、一夜で深黒くなっていた。 (七十頁~七十一頁)

 雲を炎の様だと捉えその炎の中に月がある。そこで秋を感じるというのがいいと思った。

  

 家のこと、自然のことだったり、いろんな要素が詰まった物語であった。信吾が見る夢や自然の描写が何を暗示しているのか予測してみるのも面白いと思う。それにしても遠い風の音に似ているが、地鳴りとでもいう深い底力のある山の音とはどんなものか気になった。

 

 

参考 川端康成、『山の音』、新潮文庫、2013年