芥川龍之介の作品を読み漁る——「或恋愛小説——或は「恋愛は至上なり」——」

「或恋愛小説——或は「恋愛は至上なり」——」

主人公はまた保吉。場所はある婦人雑誌社の面会室。主筆と話す。保吉はこの頃婦人雑誌に書きたいと思っていると小説があるといい、それはどのようなものかというと以下のようなもの。<ある女主人公妙子がいて外交官の夫がいるにもかかわらず、達雄という才能あるが貧しい音楽家と懇意になってしまった。ある時音楽会で女主人公は達雄は私のことを愛しているのではないかと直覚する。そして達雄を夫がいないとき家に招き、ピアノを弾いてもらう。けれども夫が帰ってきて夫は怒って、達雄の訪問を拒否する……その二か月後、達雄は出張へ行き、妻も一緒に行かなければならない。しかし旅先で妙子は夫よりも達雄を愛していたと感じるようになり、達雄に手紙を書く。達雄は<私はあなたを愛していた。今でもあなたを愛している。……>という妙子からの手紙をみてばかばかしくなって「畜生」などと怒鳴りだす。なぜかというと達雄は妙子等を少しも愛していた訳ではなく、ピアノを弾きたいがために妙子の家に行ったのだ。しかし妙子はその間も海外で相変達雄を思っている。…おまけに夫は大酒飲みになっている。が、妙子にとって達雄を思うことは幸福である。——恋愛は至上なり。>

保吉はそれを言った後さらに主筆に続けて言った。恋愛小説の女主人公はたいてい貞女か婬婦ではないか。それを読んで影響され失恋した場合、自惚れを伴って自己犠牲をするか復讐的精神を発揮するのではないか。しかしこの恋愛小説ではそういうことを普及するつもりはない。主筆はそれを聞いてそんな話、うちの雑誌には載せられないといった。保吉はいう。じゃあ他へ載せてもらいますよ、広い世の中には一つくらい、私の主張を受け入れてくれる婦人雑誌もあるはずですから。……保吉の予想通り「夫人クラブ」大正十三年四月にこの話は載った。保吉の予想は誤ってなかったという話。——————

こういう小説上で小説を書くための案を練っているという話は「葱」や三島由紀夫の「愛の疾走」などがある。いかにも書き悩んでいる印象。最後の、将来私のことを受け入れてくれるところは他にもあるだろうという箇所は「闇中問答」を思い出した。「闇中問答」では「僕は将来に読者を持っている」といったり或声が「お前の読者は絶えないだろう」と言ったのに対し、主人公の僕が「それは著作権のなくなった後だ。」といったりし、将来に読者があるんだということを言った箇所がある。そしてその通り今自分は芥川の作品を手にしている訳だが「或恋愛小説——或は「恋愛は至上なり」——」のようにその手にしているということとその過程までをかいた小説というのも成立しうるなと思った。

 

参考 芥川龍之介、『芥川龍之介全集5』、ちくま文庫、1999年