芥川龍之介の作品を読み漁る——「不思議な島」、「第四の夫から」

「不思議な島」

主人公僕が夢の中で見た話でその夢の中身はサッサンラップという島で僕がイギリス人の老人にどういう野菜が好いのか、その善悪を教えてもらっているというもの。サッサンラップ島は野菜を作ることで生活をしている人が多く、僕が島へ来た時にはその夥しい野菜が目についたのも当然だ。なにしろ船の上から約六千メートルも積み重なる野菜のピラミッドがあったのだから!不思議な世界に浸るという点で雰囲気は「河童」に似ているなと思った。で、老人が野菜についてどういうことを言っているのかというと以下のようなもの——野菜の善悪は味で決める人もいれば色で決める人もいるし自分で作った野菜を良しとする人もいる……と思うとカメレオンの神によって決められることもあるし、……大学の教授さえこの島の野菜の善悪をつけることはできない、それくらい野菜の善悪を決めるのは難しいのだ。印象に残ったところは片輪(体の一部に欠陥がある人)がこの島では野菜の善悪を決めているというところ。僕がなぜ片輪が野菜の善悪を決めるのかと問うと老人は応える。「片輪は野菜畑へ出られないでしょう。したがって又野菜も作れない、それだけに野菜の善悪を見る目は自他の別を超越する、不平の態度をとることができる、——つまり日本のことわざを使えば岡目八目になる訣ですね。」自他の別を超越するから善悪の判定者になる、そういう考えもあるのだなと思った。結局あれこれ言っていたはいいが、決着がつかないあたり宮沢賢治の「ベジタリアン大祭」を思い出した。

 

「第四の夫から」

<チベットの首都ラッサという場所で主人公の僕は一妻多夫の生活をしている。妻一人に対し、夫は三人もおり、そのうちの一人が僕で…ある時妻が手代(商店などの使用人)と浮気をし、手代の鼻を三人が削ぎ落した後妻の鼻も削ぎ落すのか話したがそれは子どものためもあるのだからやめておこうということにした……その後の生活は悪くはない>——ということを手紙に書き、その手紙をインドのある人へ預けて、最終的に日本に送る予定であるということがかいてある。この一妻多夫というシステムが話の中ではうまくいっていることになっており、三人の夫は妻を共有することに不便を感じず、過不足なしに愛している。これはどういう感覚なのだろうと思った。日本だと一夫一妻制なので一夫多妻若しくは多夫一妻制を想像することは自分にとって難しい。多夫制が認められている一方、日本では認められている従兄弟同志の結婚はこの話では不倫ということになっている。

 

 

参考 芥川龍之介、『芥川龍之介全集5』、ちくま文庫、1999年