芥川龍之介の作品を読み漁る——「葱」、「尾生の信」、「秋」、「女」

「葱」

あらすじ 

おれは締め切り日を明日に控えた今夜、一気呵成にこの小説を書こうと思う。神田神保町辺にはお君さんという女給仕がいる。美人である。芸術的趣味を持つ。もう一人年上の女給仕がいる。お松さんといって、お君さんほどの器量ではない。お君さんに意地悪をしてくる。お君さんには恋をしている相手がいる。田中君と言って、まあ芸術的である。お君さんは、明日の晩は二人で、楽しく暮らそうという約束をした。明日はちょうどひと月に一度ある沖見さんの休み日だから、午後六時に小川町の電車停留場で落ち合って、それから芝浦にかかっている伊太利人のサアカスを見に行こうという訳。しかし、残念ながら翌日の午後六時までお君さんが何をしていたか、その間の詳しい消息は、俺は知らない。——正直に言うと、おれは今夜中にこの小説を書かなければならないからである。翌日の午後六時、二人は会う。二人はいつか横丁を曲がったと見えて、路幅の狭い町を歩く。すると、その町の右側に一軒の小さな八百屋がある。そこには汚い字で<一束四銭>と書いてある葱の山がある。それは今まで恋愛と芸術とに酔っていたお君さんの幸福な心の中に、実生活を思い出させる。お君さんは田中君を一人後に残し、鮮やかな瓦斯の光を浴びた青物の中へ足を入れた。そして、一束四銭の札が立っている葱の山を指さすと、「さすらい」の歌(大正七年頃の流行歌。北原白秋作詞、中山晋平作曲。「生ける屍」(大正六年十月明治座初演)の舞台で歌われた。)でも歌うような声で、「あれを二束下さいな」と言った。そして田中君の元へ、涼しい眼の中に嬉しそうな微笑みを躍らせながら戻った。

感想 翌日の午後六時までのことを芥川は知らない、つまり、翌日の出来事も作り話である、と敢えて宣言することが面白いなと思った。お君さんの芸術趣味の描写がすごい。例えば256ページー「二階は天井の低い六畳で、西日のさす窓から外を見ても、瓦屋根のほかは何も見えない。その窓際の壁へよせて、更紗の絹をかけた机がある。もっともこれは便宜上、仮に机と呼んでおくが、実は古色を帯びた茶ぶ台にすぎない。その茶ぶ——机の上には、これも余り新しくない西洋綴の書物が並んでいる。「不如帰」「藤村詩集」「松井須磨子の一生」「新朝顔日記」「カルメン」「高い山から谷底見れば」——あとは婦人雑誌が七八冊あるばかりで、……最後にその茶箪笥の上の壁には、いずれも雑誌の口絵らしいのが、ピンで三四枚とめてある。一番まん中なのは、鏑木清方君の元禄女で、その下に小さくなっているのは、ラファエルのマドンナが何からしい。と思うとその元禄女の上には、北村四海君の彫刻の女が御隣に控えたべエトオベンへ滴るごとき秋波を送っている。」

 

「尾生の信」

尾生はずっと橋の下で女を待ち続けているが、一向に来ず、死んでしまい、海の方へ運ばれ、それが幾数年かを経て、私に宿っている……そのため、私は昼も夜も漫然と夢見がちな生活を送りながら、なにか来ないかと不思議なことばかり待っているという話。私の漫然とした生活が、尾生の生まれ変わりの故だとすることが、面白いと思った。「尾生の信」とは、固く約束を守ることであるらしい、また、尾生は古来から信ある人で、「史記」「荘子」「戦国策」等にも出てくる人らしい。この小話で、「女は未だに来ない。」という箇所は全部で7個ある。その前に、何らかの出来事が起こるのだが、どれも難解だった。例えば3回目の、女は未だに来ない。……とある所の前には、こうある—「川筋には青い蘆が、隙間もなくひしひしと生えている。のみならずその蘆の間には、所所に川楊が、こんもりと円く茂っている。だからその間を縫う水の面も、川幅の割には広く見えない。ただ、帯ほどの澄んだ水が、雲母のような雲の影をたった一つ鍍金しながら、ひっそりと蘆の中にうねっている。……」7回目の、女は未だに来ない。……の前は次のようなものー「腹を浸した水の上には、とうに蒼茫たる暮色が立ちこめて、遠近に茂った蘆や柳も、寂しい葉ずれの音ばかりを、ぼんやりした靄の中から送って来る。と、尾生の鼻をかすめて、鱸らしい魚が一匹、ひらりと白い腹を翻した。その魚の躍った空にも、疎らながらもう星の光が見えて、蔦かずらの絡んだきょうらんの形さえ、いち早い宵暗の中に紛れている。……」何か意味ありげだが……。

 

「秋」

あらすじ

信子は俊吉という従兄と一緒にいることが多く、周りの目からすれば、結婚するだろうと思われていたがせずに、高商出身の青年と突然結婚してしまった。信子の妹は照子といい、照子と俊吉が結婚することになった。その後、信子が照子の家に訪れたりし、……信子の照子、あるいは俊吉との微妙な関係を描いている。信子が幌車で外出すると、場末らしい家々、色づいた雑木の梢がおもむろに絶え間なくあり、前には俊吉がいた。信子は俊吉を呼ぼうとしたがためらった。うすら寒い幌の下に、全身で寂しさを感じながら、しみじみと秋を感じた。

 

「女」

雌蜘蛛が庚申薔薇周辺で蜂を殺し、子どもを産んだ。その生まれた子供が庚申薔薇の枝へなだれ込むと、そこにはいつか蜂を殺した、あの雌蜘蛛がいたという話。

 

参考

芥川龍之介、2017年、『芥川龍之介全集3』、ちくま文庫