幸田文著「おとうと」を読む

内容 不和な両親のもと、弟の碧郎と姉の関わりを中心に描いたもの。序盤では、様々な疑惑をかけられてしまう(例えば碧郎が学校の子を骨折させたという疑惑や、姉がものをとったという疑惑)。碧郎は、骨折をさせたというという疑惑をかけられたことで、不良仲間とつるむようになる。しかし、不良になっていく、更には盗みをするようにもなるとはいえ、どこか無邪気なところがあった。中盤では、碧郎がボートから転倒したことや、馬を転ばしたことなどがかいてある。それ以降は碧郎の結核がメイン。

——幸田文の作品は初めてよんだ。隙間なく、びっしり書かれ、読みごたえがあった。いくつか印象に残った点を分けて紹介する。

文体の特徴・独特な表現 「……」が良く使われているが、規則性がわからない。例えば、p181の「「花なんてもう……」……「ほんとはあげなくてもいいだろうけどね、……」……「せめて花なんか賑やかな方がいいって気がすらあ。……」というところは、「……」「、……」「。……」の三種類あり、どういう風に使い分けをしているのか気になった。また、会話文は、後ろに例えば「と」があれば、「」で終わるが、なければ、「。」で終わっていた。それから、「来て」ではなく、「来」で終わらせたり、「聴いていて」ではなく、「聴いてい」とすることで、文章が鋭くなるように感じた。

表現が独特なのがところどころあった。「にゅう」や「そぼんとした」、「ぺしょん」、「しゃらん」などは、初めて見た。

自虐的な感じ 幸田文が自虐的だったかわからないが、文章で、主人公のげんを、敢えて下手にみせるところがあったので、なんとなく、自虐的だったのでは、と思った。——姉「きのうあんた橋のところで振り返って笑ったわね、あれどういうわけなの、機嫌がなおった知らせなの?」ー弟「そうじゃないよ。ねえさんがかわいそうだったんだよ。」「なぜ?」「なぜって、とぼとぼしてるみたいだったからさ。」(p12)、「彼(弟)は穏やかに、姉をあわれむ眼つきで見た。「ねえさん案外頭鈍いね。……」(p160)

気に入った表現——

不和ー家の中はつねに強さと強さがこすれあって暗鬱だった(p7)。父母の不和な家は、父母は夫婦という一体ではなく、二人の男女という姿に見える時間が多い(p75)。

天気や自然ー今は盛りと咲いている浪花ばらの袖垣を楯に取った芝生に腰を落として、……(p36)。潮の退くように人が散っていった(p66)。つゆばれの上天気で、さすが塵埃の都会の空も蒼く高かった(p153)。誰のしたことだかサイドテーブルには鴇色のカーネーションが挿してある(p164)。 

寂しさ・哀しさーいずれ母は例によって自室で祈りがはじまるのだろう、げんは台処よりほか居どころはない(p61)。同じく一人でもことしの一人は侘しかった。道は凍てついている。桜は裸でごつごつしている(p76)。ふと、誰か話す人がほしいと思う。……首なしでもそのひとは楽しかった(p82)。連れて行かれたのが自分ではなくてよその人だった、というのでほっと喜んでいるのではない。ほっとしたことは確かだが、喜んではいないのだ。喜ぶよりさきに拡がっているものは、寂しさのようだった。←なんとなく、「風立ちぬ」を思い出した。

病気ーがったりと食欲は減った。一日に何度うつらうつらとするか、そのたびに汗だ。どんどん頬がこけた。まばらな不精髭が伸び、耳のわきまで髪がかぶさっても、もう当人はうっとうしいとも云わない(p172)。舌は舌苔で茶褐色なって、……(p173)。青白い指のさきに伸びてくる爪は、老人の爪と同様に粘り気がなくつやを失っていた(p178)。額にも頬にも顎にもまるで紅みはなく、くぼんでいる部分にはみな隈が出ていた(p194)。←頬・額・顎という漢字は何となく似ている。三つ並べると、どっしりした感じがした。

 

色々なこだわりがありそうだ。他のも読んでみたいと思った。

 

参考 幸田文、「おとうと」、新潮文庫、2006年