向田邦子著「隣りの女」・「下駄」を読む

前に、「男どき女どき」は読んだことがあった気がするが、これは初めて読む。5作品入ってたけど、紹介するのは二つー「隣りの女」と「下駄」。

「隣りの女」 ざっくりとしたあらすじ スナック勤めの女が隣に住んでいる。その部屋からは話し声が聞こえる。それは、女と男の会話で、男は時によって違う。主人公は隣りの女がどんな女かと興味を持つと同時に、男がどんな人かも気になる。主人公が隣の女のスナックへ、鍵を届けるなどをしていると、そこに男が居合わせるなどし、やがて、隣の男とも接点を持つようになる。やがて主人公は、旦那がいるにもかかわらず、その男とニューヨークへ行くまでの仲になる。旦那は旦那で、妻が留守の間、隣の女とベットで過ごすが……。

感想 文と文の間に使う動作が何げなくて良いと思った。例えば、隣の女が倒れて、主人公が駆けつけた時、「誰か来て」と叫んだ後、[隣の女のまくれたガウンの裾を直した]後に、「110番お願いします」と叫んだり。主人公が、隣の女を助けたことで、インタビューされて、夫のことを「平凡なサラリーマン」と言った後、[冷蔵庫を開け、残り物を指でつまんで食べている]ときに、それを咎めるために夫から「みっともない真似をするなよ」と電話がかかってきたり。もう一つの「下駄」でもそうだったが、駅名が良く出てくると思った。向田邦子は駅が好きなのか。ミシンの音は度々出てくるが、あまりよく分からなかった。「「ー」と言った(した)。それから(同一人物が)「ー」と言った(した)。」というのは、向田邦子の書き方の特徴のひとつなのか。慣れていないせいもあり、誰が言ったのかわからないということがあり、読みづらかった。

 

気に入った表現 集太郎と峰子はもつれ合ってアパートの外階段をのぼった。揺れながら自分の鍵を掛けようとする集太郎の横に峰子は立って、自分の手でカギ穴をふさいだ。目がドアを半開きにした自分の部屋へ誘っていた(p55)←官能的だと思った。/今日に限って、髪にクリップはくっついているし、よれよれのブラウスである(p29)。

 

 

「下駄」の感想 会社でよくとる出前を持ってくる男が主人公の異母弟であったと気付き、その後の二人の様子ややりとりが描かれた作品。この異母弟は寂しがり屋で構ってほしがりで、弱弱しい感じがした。「二人(兄と弟)並んで一緒に献血しないか(p162)」といったり、「父親の身に付けていたものを、何でもいいから一枚、譲ってもらえないだろうか(p163)」と兄に頼んできたり、わざと面倒を見てほしいがゆえに、兄の原稿の上に汁がこぼれるほど強く原稿を置いたり(p175)と、あったが、あんまりそういう男はいないだろうなと思った。もちろんいないこともないと思うが。日記の習慣がある兄が、出前を持ってくる男が異母弟だと気付いた時に、「これは書けないな」と思ったというところは、ビアスの悪魔の辞典を思い出したー

「日記」=自分の生活の中で、自分自身に対して顔を赤らめずに物語ることのできる部分についての日々の記録(ビアス、新編悪魔の辞典、岩波文庫、2010年、p197)。

そう、なぜか日記にはあまりにも恥ずかしいと思うことは書けない。

 

気に入った表現 弟は兄に言った。「俺、あだ名、下駄なんですよ」「俺は牌だよ」(=どちらも四角い)(p157)。/丸くなった物干しは、この寮で流行っていると見えて、どの部屋にも二つずつベッドの上で揺れていた(p165)。/まだらにしみの浮いた、うすねずみ色のコンクリートの壁の前に立って四角い顔に見つめられると、抵抗できないところがあった(p166)。/のんびりした小鳥の声を聞いていると、大したことでもないのに、異をとなえるのがつまらなく思えてきた(p168)。/堅物と思わせて、実はよその女に子どもを産ませ、女も子供も捨てた父にも腹が立った。お父さんに限ってそんなことはあるはずがないと、自分に都合のいいところだけを信じておいた母にも怒りがわいてきた(p171)。

 

 

 

参考 向田邦子、「隣りの女」、文春文庫、1984年。ビアス、『新編悪魔の辞典』、岩波文庫、2010年