えびすについて

「「ともかくもか、ハハハ。君ほど、ともかくもの好きな男はないね。それで、あしたになると、ともかくも饂飩を食おうと云うんだろう。――姉さん、ビールもついでに持ってくるんだ。玉子とビールだ。分ったろうね」
「ビールはござりまっせん」
「ビールがない?――君ビールはないとさ。何だか日本の領地でないような気がする。なさけない所だ」
「なければ、飲まなくっても、いいさ」と圭さんはまた泰然たる挨拶あいさつをする。
「ビールはござりませんばってん、恵比寿えびすならござります」
「ハハハハいよいよ妙になって来た。おい君ビールでない恵比寿があるって云うんだが、その恵比寿でも飲んで見るかね」
「うん、飲んでもいい。――その恵比寿はやっぱりびん這入はいってるんだろうね、姉さん」と圭さんはこの時ようやく下女に話しかけた。
「ねえ」と下女は肥後訛ひごなまりの返事をする。
「じゃ、ともかくもそのせんを抜いてね。罎ごと、ここへ持っておいで」
「ねえ」」、、、、、、筒袖つつそでの下女が、盆の上へ、麦酒ビールを一本、洋盃コップを二つ、玉子を四個、並べつくして持ってくる。
「そら恵比寿が来た。この恵比寿がビールでないんだから面白い。さあ一杯いっぱい飲むかい」と碌さんが相手に洋盃を渡す。
「うん、ついでにその玉子を二つ貰おうか」と圭さんが云う。、、、、、、
「よすとなると気の毒だから、まあ上げよう。本来なら剛健党が玉子なんぞを食うのは、ちと贅沢ぜいたくの沙汰だが、可哀想かわいそうでもあるから、――さあ食うがいい。――姉さん、この恵比寿はどこでできるんだね」
「おおかた熊本でござりまっしょ」
「ふん、熊本製の恵比寿か、なかなかうまいや。君どうだ、熊本製の恵比寿は」(夏目漱石、二百十日、青空文庫)

 

 

今日はえびすをいくつか紹介する。

夏目漱石の「二百十日」が書かれたのが1906年(エビスビールが出たのが、1890年)。女は言った。ビールはなく恵比寿はある、東京産ではなく、熊本産の恵比寿。この女にとって、恵比寿とは何か。

 丸谷才一『好きな背広』(1986、文春文庫、p34-38)には、「アメリカ橋」というタイトルの小論がある。広尾へ行くときはアメリカ橋を渡り、エビスビールの工場の横を通り、本当は恵比寿南橋という名前なのに、みんながアメリカ橋というようだ。この橋は丸谷が按ずるところ、アメリカから来た材料を用いて橋を作り、その一部を記念としてのこし、その一部が橋のたもとに残っている。昭和16年―20年まで、日本中は、英語は使わないようにする傾向があった。例えば、銀座ワシントン靴屋は主人の姓が東条だったので、東条靴店と決め、戦争が終わると、また、ワシントン靴店に戻ったらしい。では、当時の、アメリカ橋はというと?ー現地の人に聞くと、そこにしかないから、「橋」と呼んでいたというところで終わりになっている。

 

 

港区の伊皿子坂は、当時の外国人の名前(エビス)がなまって「いさらご」と呼ばれるようになった説がある。

 

参考文献

夏目漱石、「二百十日」、青空文庫

丸谷才一、1986、『好きな背広』(p34-38)、文春文庫