三浦哲郎著『ユタとふしぎな仲間たち』を読む

 新潮文庫の『忍ぶ川』を読んでいたのだが、連作なのだろうか、似たような設定が続くのが飽きてきたためほかの作品も読もうと本書を読むことにした。

 

 あらすじは東京から東北へいったがあまりなじめなかった小学六年生の少年ユタが座敷わらしに会ったのをきっかけに友達ができるようになったり体を鍛えて強くなったりするというもの。

 この作品ででてくる座敷わらしは一人ではなく、九人いるというのに驚いた。それぞれが若いうちに何らかの形で死んでしまったが故に座敷わらしになったのだという。その中でもペドロというユタを九人の元へ案内してくれたものは五男であり間引き——親に殺された——されてしまったという。この五男という兄弟が多い感じは三浦哲郎が六人兄弟だったということとなんとなく被っている感じがした。そのあたりは『忍ぶ川』の作品の設定でもそんな感じだ。

 印象に残ったところはユタが眠すぎて銀行の玄関の自動シャッターのように、どうしようもない重たさで垂れ下がってくる瞼を支えようとしながら……という一文。自動シャッターは重さを表す表現としてうまいなと思った。芥川の「河童」にでてくる河童や遠野物語にでてくる奇妙なもののときもそうだがこの作品に出てくる座敷わらしというのもどこか変わっていて面白いので注目した。特徴をまとめると以下の様——ビートルズ風の髪、白くて小さいが大人の脛みたい、紺ガスリの着物を着用、あごひげを生やしているが子供っぽい顔……。

 全体的にそれぞれの大きな事件に突っ込んでいくということはなく、又座敷わらし九人それぞれに人物設定が細かくあるという訳でもなく終わり方は火事があってユタと座敷わらしたちは別れるので少し急な感じもしたが、あっさりしたものを読みたい時にはいいと思った。

 

参考 三浦哲郎、『ユタとふしぎな仲間たち』、新潮文庫、2005年

浅草寺に行く——芥川龍之介の「浅草公園」を読んで——

 松戸からの帰り、数十キロとそこまで離れていないので引き続き自転車で浅草寺に行くことに。「浅草公園」は約二か月ほど前に読んだのだがとても興味深い作品で引っかかりがあった。この作品の中心は或少年が父親がいないことに気づき、浅草寺周辺を歩き回るというもの。シーンが良く切り替わり、いろんな店が出てくるという印象。途中、少年の不安感を表現するような描写がある。一~七十八まで短い文で構成されている。

 

 それでちくまの芥川龍之介全集(六)を片手に浅草寺を回る。再現とまではいかないけど、一部照らし合わせていけたらいいと思った。

 まずは「浅草公園」の一とふってある仁王門へ。これは宝蔵門とも呼ばれるのだが、仁王像が安置されているので仁王門とも呼ばれるようだ。

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 浅草の仁王門の中に吊った、火のともらない大提灯。提灯は次第に上へあがり、雑踏した仲店を見渡すようになる。ただし大提灯の下部だけは消え失せない。門の前に飛びかう無数の鳩。 (「浅草公園」・一)

 提灯の火はともっていない。大きさ的に難しいのだろうか。鳩は門の周辺にはいる所もあったが前は人が多いこともありあまりいなかった。

 で、その次「浅草公園」では雷門へ移動している。仁王門から仲見世ずっと通って雷門へゆく。

 

 雷門から縦に見た仲店。正面にはるかに仁王門が見える。樹木は皆枯れ木ばかり。 (「浅草公園」・二)

 

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 携帯のカメラをだいぶズームした。はるかに仁王門(宝蔵門)が見える。
 それから「浅草公園」では少年は玩具屋へ父親は帽子屋へ行ったりしている。玩具屋へ行き玩具の猿を見ていた少年は父親とはぐれてしまう。少年はその後いろいろな店を回る——目金屋、造花屋、煙草屋、射撃屋……

 実際歩いてみると、玩具屋は多い感じがした。しかし猿の玩具は見つけられず。

 その後、「浅草公園」では劇場、映画館、カッフェ、メリヤス屋を通ったりしている。

 

「急げ。急げ。いつ何時死ぬかも知れない。」 (「浅草公園」・五十一)

 少年の不安を表現しているのだろうか。こんな文も出てくる。

 「浅草公園」ではその後ポストや理髪店、セセッション風の病院、コンクリイトの塀、常盤木の下のベンチなどが続いて出てくる。

 

 

「浅草公園」・六十九では観音堂(本堂)が出てくる。

 

次は手水鉢を目指す。

 

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 斜めに上から見下ろした、大きい長方形の手水鉢。柄杓が何本も浮かんだ水には火かげもちらちら映っている。そこへまた映って来る、憔悴し切った少年の顔。 (「浅草公園」・七十一)

 手水鉢は他にもいくつかあったが長方形のものがたまたま二天門にあったのでこの写真をとった。水は無かった。参考までに仁王門傍の手水鉢は長方形ではなかったが火かげはあった。

 少年の顔が憔悴しきって映っていたのか……悲しい。

 

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 それから石灯籠。本堂(観音堂)から左に折れた薬師堂の石灯籠は大きい。「浅草公園」・七十二から最後までの間、石灯籠が結構出てくる。

 大きい石灯籠の下部。少年はそこに腰をおろし、両手に顔を隠して泣きはじめる。 (「浅草公園」・七十二)

 少年は石灯籠に腰かけ、泣いている。そして七十六で巡査に手を引かれて向こうへ歩いていく。

 

 最後に再び仁王門へ。

 

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 前の仁王門の大提灯。大提灯は次第に上へあがり、前のように仲店を見渡すようになる。ただし大提灯の下部だけは消え失せない。 (「浅草公園」・七十八)

 昼間とは違い仁王像はライトアップされていた。迫力がある。芥川が提灯の下部に注目したのは面白い。確かに目がゆく大きさかもしれない。

 

 以上、「浅草公園」を読みながら歩いていった。芥川の時代とは違うだろうし建物も変わっているのかもしれないけど、こんな感じじゃないんだろうかと思いながら写真をとっていった。いつもは浅草寺に来た時はぷらぷら歩いていたのだが本をみながらでも楽しめた。

 

参考

芥川龍之介、1991年、『芥川龍之介全集六』、ちくま文庫

 

松戸に行く——「野菊の墓」を読んで——

 題のとおり、伊藤左千夫の「野菊の墓」を読んだため、その舞台の松戸へ昨日行ってきた。松戸は初めてだ。葛飾区も意外と行ったことは無かった。先ずは野菊の墓文学碑なるものがあるということでそこを目指す。

 

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 ここの上にあるのだろうか。
 左側の階段をのぼる。看板がある。——野菊という花は山野に咲く数種の菊を総称したものだという。一般に野菊と呼ばれる花はカントウヨメナ、ノコンギク、ユウガギクなどでありいずれも白か淡青紫色だと書いてあった。黄色だと思っていた。

 

 文学碑が見えた。

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  この碑には小説中の一節(伊藤左千夫、『野菊の墓』、新潮文庫、2005年だとp14-15)が書いてある——崖の上から上野の森もそれらしく見えるとあるが見えるのだろうか。見たい。階段降りて今度は一番最初の写真右側の階段をのぼる。空いたスペースがあって見晴らしはいい。

 

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 ここから上野の森が見えると書いたわけではないのだろうが、建物がなければ結構遠くまで見えそうだ。

 

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  野菊苑歩道橋。右の階段のぼって空きスペースにでてもこの歩道橋を渡れば左の文学碑に行けるようだ。猫がいた。

 

 で、その後矢切の渡に行くことにした。矢切の渡と呼ばれるものは調べると幾つかあるようなのだが、今回は1.5キロくらい離れた葛飾の方へ向かうことに。

 

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 向かう途中。畑が広がっている。何の畑かはわからない。

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 堤防からの写真。あの向こうに矢切の渡があるようだ。鬱蒼としている。

 

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  左の写真の船のことを渡しというのか、それとも右の写真のようなものを渡しというのか、あるいはここら辺一帯を渡しというのかこんがらがっているのだが……近づいてみた。船には乗らないで帰っていった。

 小説だと政夫が市川の学校へ向かうため、矢切の渡で民子と別れた。

 

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  新葛飾橋からの眺め。左が松戸側、右が葛飾側。

 

 風が吹くと寒い。

芥川龍之介著「あの頃の自分の事」を読む

 芥川龍之介が大学三年生だった頃を振り返ったもの。芥川が自身を語ったものを読みたかったので手にしてみた。

 

 芥川の当時の交友関係が知れる。この作品では雑誌「新思潮」の同人の人物が出てくる。——松岡譲、菊池寛、成瀬正一、久米正一

久米正雄など。同人同志、作品を批評する場面があるのだが、結構辛辣なところもあった。——

 自分は午前の講義に出席してから、成瀬と二人で久米の下宿へ行って、そこで一しょに昼飯を食った。久米は京都の菊池が、今朝送ってよこしたと云う戯曲の原稿を見せた。それは「坂田藤十郎の恋」と云う、徳川時代の名高い役者を主人公にした一幕物だった。読めと云うから読んで見ると、テエマが面白いのにも関わらず、無暗に友染縮緬のような台辞が多くって、どうも永井荷風氏や谷崎潤一郎氏の糟粕を嘗めているような観があった。だから自分は言下に悪作だとけなしつけた。成瀬も読んで見て、やはり同感は出来ないと云った。久米も我々の批評を聞いて、「僕も感服できないんだ。一体に少し高等学校情調がありすぎるよ」と、同意を表した。それから久米が我々一同を代表して、菊池の所へその意味の批評を、手紙で書いてやる事にした。 (385-386頁)

 菊池は芥川と成瀬と久米に微妙な評価をもらっている。どんな手紙をこの三人の評価を代表し、久米が書いたのか気になる。

 

 芥川は英文科にいた。芥川でも不満は言うのだ。ロオレンス先生のマクベスの講義への不満——

 講義のつまらないことは、当時定評があった。が、その朝は殊につまらなかった。初めからのべつ幕なしに、梗概ばかり聞かされる。それも一々Act 1, Scene2と云う調子で、一くさりずつやるのだから、その退屈さは人間以上だった。自分は以前はこう云う時に、よく何の因果で大学へなんぞはいったんだろうと思い思いした。が、今ではそんなことも考えないほど、この非凡な講義を聴くべく余儀なくされた運命に、すっかり黙従し切っていた。 (378頁)

 つまらないが黙従した。…仕方なかったのかもしれない。この後、寝たようだ。廊下へ出ると、丁度その寝ていた箇所を豊田実(英文学者。1885-1972。)がノートを見せてくれと言ったというエピソードもあった。

 講義中、前の席の人の髪が長く芥川のノートにあたっていたためそこの部分はノートを取らず、代わりにハイカラな学生の横顔を描いたというところが印象に残った。

 

 面白いと思った表現は芥川と成瀬が独逸語の授業をアイアムビックに出席した——成瀬が出れば芥川が休み、芥川が出れば成瀬が休んだ、そして一つの教科書に代わる代わる二人で仮名をつけて試験前には一緒にその教科書を読んで間に合わせたというところ。アイアムビック(iambic)とは詩の規則で強弱強弱の律のこと。

 

参考

芥川龍之介、『芥川龍之介全集2』、ちくま文庫、1992年

 

訂正 

2019年1月27日 久米正一→久米正雄

 

 

 

 

 

 

 

伊藤左千夫著「野菊の墓」・「浜菊」を読む

「野菊の墓」

伊藤左千夫の最初の小説。

 

あらすじ 

主人公僕(政夫)とその縁の従妹民子(いずれも十代)は仲が良かったが、それを見ていたあによめや母など、親類はあまりそれを良しとせずにいた。しかし僕と民子は愛し合っていた。

僕は民子としばらくの期間離れ、学校へ行っている間、民子は嫁に行ったが不本意であった。民子は身持ちしたがおりてしまい、跡の肥立が悪く死んでしまった。

 

感想

恋愛話で会いたいが会えないというのはよくあるかんじ。

舞台は松戸で矢切の渡が出てくる。

茄子畑が登場したり、二人が竜胆りんどうや春蘭を持ち帰ったりと自然が描かれているのが良かった。政夫が民子のことを野菊の様だ、好きだ、といって、民子は政夫のことを竜胆のようだ、好きだといったところが印象的だった。

松戸に行ってみたいと思った。

 

 

「浜菊」

主人公予が長岡へ友人岡村の家へ汽車で行ったが泊まる部屋は掃除が行き届いていないし、昔岡村の妹お繁さんに予は恋していたのだがいってみてもいないし、ということで予は不快に感じたという話。

 

予が岡村宅へ行くと、長岡のちまきが出るといっていたことに予は喜ぶのだがそれをみた岡村はそんなもので喜ぶなんて時代遅れじゃないか、といい、予はいや、時代に遅れるとか先んずるとかいうほうがどうなのか…という会話がある。

なぜか粽を食べたくなった。これがこの作品を読んでの一番の感想だ。

 

参考

伊藤左千夫、『野菊の墓』、新潮文庫、2005年